国宝「合掌土偶」
【大きさ】高さ19.8㎝、幅14.2㎝、奥行き15.2㎝
【所有者】八戸市(青森県八戸市内丸1-1-1)
国宝指定までの経緯
1997年6月30日、風張1遺跡から出土した縄文時代後期後半の遺物664点(附炭化米2点)が、縄文時代晩期の亀ヶ岡文化の形成を考えるうえで、極めて貴重な学術資料として、国の重要文化財に指定されました。また、2009年7月10日、重要文化財のうち「合掌土偶」1点が、国宝に指定されました。
1.遺跡の概要
土偶が出土した風張1遺跡は、新井田川の右岸に位置し、縄文時代晩期で有名な中居遺跡の対岸にあります。北側を蛇行する新井田川と南西側の沢地に挟まれ、北西側に突き出した標高20~30mの舌状台地上に立地しています。遺跡の規模は東西約470m、南北約250m、総面積は75,000㎡です。
八戸市教育委員会では昭和63年~平成4年(1988~1992)まで、5か年にわたる発掘調査を行い、これまで15,700㎡、約21%の調査が終了しています。合掌土偶は、平成元年7月、長芋作付けによる緊急発掘調査で出土したものです。
調査の結果、縄文時代の早期・中期・後期、弥生時代、奈良時代、平安時代の遺構・遺物を数多く検出しています。本遺跡の特徴は、縄文時代後期後半の大規模な環状集落(二つの土坑墓群を取り囲むように土坑群・掘立柱建物跡群・住居群が同心円状に構築されている)が構成され、縄文後期の拠点的集落であること、遺物は住居内から完全な形のものが数多く出土したことがあげられ、縄文時代後期後半の集落構造や編年を考える上でも貴重な資料です。
2.合掌土偶の出土状況
合掌土偶の出土状況は、第15号竪穴住居跡の出入り口から向かって奥の北壁際から出土しています。右側面を下にし、正面を住居中央に向け、背面は住居壁面に寄りかかるように確認されました。
また、出土時に欠けていた左足部分は、2.5m離れた西側の床面から出土した。土偶は、一般的に捨て場や遺構外からの出土例が多いのですが、住居の片隅に置かれた様な状態で出土した例は非常に少ない例として貴重です。
3.合掌土偶の特徴
風張1遺跡からは約70点の土偶が出土していますが、完全な形をしているものはこの土偶だけです。座った状態で両腕を膝の上に置き、正面で手(掌)を合わせ、指を組んだポーズを取っていることから合掌土偶と称されています。
また、両腿の付け根及び膝と腕が割れていますが、割れた部分にはアスファルトを使った修復の跡があります。大切に使用していたものと考えられます。土偶の顔面や体の一部などに赤色顔料が認められ、使用された当時は全体が赤く塗られていたと思われます。
・縄文時代後期の土偶の特徴と合掌土偶
東北北部では、縄文時代前・中期に板状土偶(両腕を左右に突き出した十字形の土偶)が多く出土しています。縄文時代後期前半に入ると、前・中期で顔が扁平に表現されていたものが、立体的となり前方に突出し、両足も表わされるようになります。後期後半はお腹を膨らませ、妊婦を表現しているものや蹲踞(そんきょ)姿勢でポーズをとる土偶が出現します。
蹲踞(そんきょ)姿勢の土偶は、腕組みをするものが多いのですが、手を合わせ合掌しているポーズをとるものは、本遺跡出土の土偶と青森県つがる市石神遺跡の土偶だけです。ただし、石神遺跡の土偶は頭部と胴体が別々のものが接合され、全体像を捉えることが出来ません。土偶は一般に、完全な形をしているものは非常に少なく、どこかの部分が欠損しているものが多くみつかります。風張1遺跡の合掌土偶は、完全な形で残っており、他の土偶と比較してより精巧に作られています。
※蹲踞(そんきょ):体を丸くしてしゃがむこと。うずくまること。
4.合掌土偶の時期
第15号竪穴住居跡出土土器、土偶の形態からみて、縄文時代後期後半(約3,500年前頃)のものです。
5.合掌土偶の商標について
八戸市は縄文文化のPRのために、多くの事業者が合掌土偶を使用できるように商標登録を行いました。詳細はこちらをご覧ください。
6.合掌土偶の出土地について
風張1遺跡の発掘調査地点は現在、養護老人ホームとなっており、私有地であるため立ち入ることはできません。
→合掌土偶の出土地について(PDFファイル 432kb)