KorekawaIs

野焼きを体験して

「野焼き」は古来野山を維持するために、新芽が出る前に枯草を焼く伝統行事であるのだが、「野焼き」で検索してみると、その実施には制約が少なくない。最近は稲藁は無論、枯れ木や枯草の焚き火さえ厳しく規制されている。
土器の野焼きは特別だ。粘土から成形した土器の「焼成」という作業で、野焼きで土器を焚き上げるのが静かなブームだという。
司馬遼太郎は「街道をゆく」で「土器は古代人にとって第二の胃袋であった。…土器という第二の胃袋が発明され、食べ物の範囲が広くなった。人口もふえた。そういうめでたい時代を、縄文時代とよんでいるのである」。
そういった縄文の人々が「野焼き」をしたであろう、同じ敷地で、火を焚いて、 先日猛暑の中、初めて土器・土偶の「野焼き」を体験した。
火を焚く事自体がほとんどなくなった。お盆の迎え火と送り火くらいで、このように大がかりで火を焚くのはしばらく記憶にない。かなり以前に野外キャンプ等で「キャンプ」や「飯盒炊爨(すいさん)」以来ではないかと思う。
数日前までの影響で、薪が湿っていて、はじめはなかなか火がつかなかったが、やがて勢いよく燃えだし、熾(お)きが作られていく。土器を乾燥させ、燠を土器に回りに取り込むように並べ、温度を高めていく。やがて土器を覆うように薪を積み上げて大きな炎になって温度が上昇していく。その作業は3時間以上続く。やがて焼き上がった土器をおが屑が入った木箱に入れ炭化焼成なる工程を経て土器が完成する。
こうして一連の土器の野焼きという、土器に命を吹き込む儀式を観察し体験することができた。
土器をうまく形作るのもまだまだおぼつかない。思うような土器の完成は遠い。縄文への興味は尽きないが、「縄文の知見の旅」は今始まったばかりである。 (濱中)